この活動のコンセプトや、始めるにあたって考えたことなどをまとめています。
フリーランスになって、
家を探しながら考えたこと
2025年以降、人口ボリュームが大きい”団塊の世代”が後期高齢者にどんどん突入し、空き家も急速に増えていくといわれています。経済的なことだけでいえば、それくらいの時期から世の中の状況に合わせて家を選び始めればいい、駅前など以外は家賃も徐々に下がるだろうし、買う必要すらないかもしれないと考えていました。今でもその気持ちはあります。
しかし、仕事を通じて地域のコミュニティや空き家に目を向けるようになって、一軒、また一軒と歯抜けになり、だんだん「スポンジ化」して活気がなくなっていく地域をみていると、そうも言っていられない、今が最後のチャンスかも…。そのつもりでコミュニティを作らないと間に合わないのかも…。と焦りを感じるようになりました。
いろいろと考えた結果、「エリアリノベーション」を切り口にして、周辺地域と販売価格のギャップのある使われていない不動産資源や遊休不動産を抱える地域の中で、自分が居場所やハブのような起点を作り、それによりストックとなっている使われていない資源を活かしながら、地域の課題や自分の望む暮らし方を作っていくことに内側から取り組んだ方が効果的だと考え始めました。
働き方としても2年前にフリーランスになり、さらに昨年結婚して、今年、家を探す中でローンを検討して実感したのですが(こう並べて書くとなかなか慌ただしい2年間ですね…)、現在でも日本の制度設計の標準になっているのは正規雇用の会社員でベースで、30くらいには結婚をし子育てするような生き方がロールモデルになっているようです。金融機関でも、フラット35など30年以上のローンを組んで新築の家を建てる人生設計がまだまだ推奨されています。
しかし、1980年前後に生まれて就職氷河期に就職活動をした世代としては、実感として、終身雇用は全員の前提と全く感じられません。周囲で友人や知人が結婚したり、親になったり、家を買ったり、建てたりしているのを横目で見ながら、同時に派遣や非正規雇用で働く同世代や少し上の世代の情報もSNSなどを通じて入ってきます。
退職金や年金のことなどを考えると、世の中の”ファイナンシャルプラン”に従っていてもつらそうで、なんだかそこにはズレや分断を感じます。
不動産や古民家について
感じていること
不動産業界では20年後には評価上、家そのものは「上物」として無価値(評価額がほぼ0円)の扱いになると言われています。今回も古い家や古民家を探すときには「中古住宅」を探すのではなく、「上物付きの土地」という扱いの不動産物件を探す方がスムーズでした。
不動産というのは、なんだか不思議です。
空き家の問題が各所で話題になりはじめた後も、日本の住宅着工数はとくだん減ることもないようで、震災などの災害やオリンピック需要などで建設業はむしろ大忙しのようです。
税金や価値の評価、助成金などの制度設計は、高度成長の人口増加ボーナス時期に合わせてつくられた、いわば特殊な時期に作られたまま変化しておらず、住宅が余り地域がまばらに空いていく「スポンジ化」の時代には、なんだか合っていない感じがしています。
いくつかの大きな災害を経て、耐震性に意識が高まったことや税制的にも新築を推進することで景気を活性化する方針をずっと取り続けてきたことなどが原因だと思いますが、古民家だけでなく昭和の名建築も含め、近代の建物は顧みられることなく経済的な合理性のもとにスクラップ・アンド・ビルドされ、強制力のある景観保護などもほとんどないことから、街並みや景観はどんどん崩れ、変化していきます。
歓楽街のネオン看板や電線の集積されたカオスなアジア的な景観の魅力もありますが、他の国の風景を見ると、家々のデザインや色、素材がモジュール的に規格として統一されて保たれていたり、電線も地中化されていたり、100年前の都市の景色がある程度変わらずに維持されていく魅力も感じます。
見る前に跳ぶ。
長々と自分のことや現状の認識を書きましたが、僕は都市計画や建築が専門でもないですし、ランドスケープのデザイナーでもありません。メディアとして都市やまちを捉えることは少しはできますが、既に多様なテイストの様式が混ざり始めてしまった景観や社会に対して、”こうすればいい”、という結論はまだ自分の手元にありません。
ただ、戦前の日本の街並みの写真を見ると、古い日本の街並や海岸線は、風土に合わせた素材だけで作られていて、アノニマスなデザインになっていて、美しいと感じます。
また、うまくいっている地域の例を見ると、現在はほとんど価値がないとされている古くて安価に使える不動産のストックにクリエイターや職人、アーティストなどが入居することでエリアのブランド価値が高まり、地域自体に人や仕事が入ってくる流れがあるようです。”仕事”という言葉の意味も、だんだんと変わってくるように感じられます。
こうしたらいいのかも…という可能性は浮かびますが、各地の先行事例やうまくいっている場所に見にいっても、短期の滞在や外から見せてもらうだけでは実際のところはわからないことがたくさんあります。
人生が80年とちょっとだと思うと、40歳というのはだいたい折り返し地点です。残り半分だとして、どうやってこれから暮らしていくか。
仕事柄、クライアント向けに提案していくことも多いのですが、クライアントワークではできないこと、自分の判断や責任のもとにリスクをとってやってみないとできないこともあります。
とりあえず色々考えていてもわからないことが多いので、地価の評価額と販売価格のギャップが大きくて、敷地の中に畑や共用スペースが作れて、がんばって知恵を出せば何とか住めそうな物件を探すことにしました。
これからの暮らし方への
いくつかのテーマ
自分の暮らし方を軸に、もう一度いろいろなことを実感として理解し、考えたい。
「住まい」「食」「仕事(ナリワイ)」「コミュニティ(居場所)」「お金(通貨)」といった生きる上でのいろいろなことについて、日々深く考えないで受け入れていたり、よくわからないまま済ませてしまっていることがたくさんあります。資本主義のおかげで、生活が便利になりました。反面、いろいろなことが分業し、お金が介在することで責任が曖昧になっていることも多いです。
これから自分たちがどういう方向に進むと納得ができて、楽しく、かつ持続していけるのか。あるいは持続しない/できないという選択や結論も、将来的にはあるのかもしれません。
これからの暮らし方について、そろそろちゃんと考えるべき時期がきたのだと思っています。
当面は食べるもののことや住居のことを少しずつ自分たちの手元に取り戻していくため、実際に自分たちの手で家を直したり、庭に畑を作ったり、地域の人から昔の暮らし方の話を聞いたり、あるいはいろいろな地域の人に遊びに来てもらって一緒に何かをしながら、いろいろと試していきます。
その中で感じたことを記録していく予定です。
おまけ|自己紹介
初めましての方も多いと思うので、少し自分の話を書いておきます。
申し遅れましたが、吉田雅彦といいます。2018年で40歳になりました。
愛知県西尾市出身で、今は知多半島のだいたい真ん中にある半田市で妻と2人で住んでいます。
知多デザイン事務所という屋号でフリーランスのディレクターをしています。
大学を卒業後、名古屋市を中心に制作会社や広告代理店で勤務したり、日本福祉大学のオンデマンド講義用の教材を作ったり、名古屋市内のいくつかの大学で非常勤講師などの仕事をしてきました。
2016年6月に開業し、知多地域の観光やシティプロモーションなどを中心に、Webやデジタルコンテンツのディレクターが主な業務内容になっています。
“ディレクター” も “デジタルコンテンツ” もなかなわかりにくいので少し細かく説明すると、お客さんの目的に応じて、Webサイトなどをユーザーにとってわかりやすく制作するため、どんな内容をどこにいれてどう繋ぐかといった情報設計を比較的得意としています。
業務を進めるための予算や要件の設定、スケジュールや品質管理、動画やイベントなどの企画やシナリオの作成、動向調査などのリサーチやマーケティング、取材で写真撮影やライター的な仕事、などなどをしています。
地域密着の仕事の仕方ということもあり、分業できるほどの予算規模の案件が多くないため、制作の工程内で自分が手を出すことで実現できたり、クオリティを上げるためにできそうなことはなんでもやっています。